【誕生】1980年11月12日
三重県伊勢市にて1800gの未熟児として出生(43歳、2024年3月現在)。
幼少期は体が小さく虚弱体質でクラスでも一番体が小さかった。
【小学校時代(~12歳)】1986年4月~1993年3月 三重県伊勢市立小学校
小学校4年生の時にリトルリーグで野球を始める。陸上競技もしており、最高成績は、短距離では伊勢市内で2位、三重県内5位、長距離で市内10位。
【中学校時代(12~15歳)】1993年4月~1996年3月 三重県伊勢市立厚生中学校
野球部で伊勢市内の優秀選手に選ばれる。学業成績はほぼオール5。生徒会役員を務める。
【高校時代(15~18歳)】1996年4月~1999年3月 三重県立伊勢高等学校
野球部で1年生の時からレギュラーで、3年夏には4番センターとして三重県大会ベスト4進出。成績は学年の真ん中くらい。友達が多く、この頃から自宅で大量の友人を招いたホームパーティーを繰り返していた。
1年冬に難病指定されているIgA腎症を発症。10年間、治療を余儀なくされる。
両親から継続的なモラハラ、パワハラ、セクハラを受け続け、家庭内の関係は常時悪かった。1カ月以上、自宅に帰らないこともあった。
【大学時代(18~22歳)】1999年4月~2003年3月 名古屋工業大学工学部電気情報工学科
大学受験はほぼせずに成り行きで地元に近い国立大学に進学。特に目的意識もなかったため、大学4年間はほぼ勉強をせず、アルバイトとバックパッカーばかりしていた。当時はまだインターネットで旅先の情報を検索する手段がなく、地球の歩き方や現地の情報ノートを頼りに20か国程度を旅し、生涯を通じた趣味となる。
【フリーター時代(22~24歳)】2003年4月~2005年3月
まともに就職活動をせずに、卒業間際の1月頃から突貫で就活をして、住宅リフォーム等の株式会社オンテックスに入社。飛び込み営業をしていたが、2か月で退社。フリーターとしてレンタルビデオGEOでアルバイト生活を始める。
2004年1月27日、23歳で父親を病気で亡くし、人生を見つめ直して弁護士を目指す。
【大学院時代(24~27歳)】2005年4月~2008年3月 関西大学法科大学院未修者コース
大学院の3年間は、生まれて初めて自主的にした勉強が楽しすぎて、一度も大変だと感じることもなく、勉強に没頭し続けた。
2006年秋に持病のIgA腎症の手術をした。術後、半年程度は2日1回のペースで強い抗生物質を服用したため、体が酷くだるくて動けなかった。そのため大学から徒歩1分で家賃2万円の家に住み、授業のみ参加し、それ以外の時間帯は自宅で寝続けていた。その後、完治。
【司法試験合格・司法修習生時代(27歳~29歳)】2008年4月~2009年12月
司法試験当日は、あまりにも楽しくて、胸の鼓動が抑えきれず、左手で心臓を揉みながら右手だけで問題を解いた。司法試験は4日間の日程だが、最初の3日分で合格を確信し、最終日は試験会場にさえ到着できれば合格だと思っていたため、会場に到着したら感極まって泣いた。
2008年9月に合格発表があり、出願者7842人中56位で合格。11月から新第62期として司法研修所に入所する。修習地は東京。
2009年12月に司法修習を修了し、東京弁護士会に登録(登録番号40925)。
【弁護士時代(29歳~)】2009年12 月~現在
2009年12月 弁護士法人北浜法律事務所東京事務所に入所
2012年2月 株式会社東日本大震災事業者再生支援機構出向
2014年2月 弁護士法人北浜法律事務所東京事務所に復帰
2014年5月 福永法律事務所を設立して独立
2021年2月 事務所名をひとり親支援法律事務所と改称
2022年9月 事務所名を福永法律事務所に戻す
◎プロフィール
【誕生】1980年11月12日
三重県伊勢市にて1800gの未熟児として出生(43歳、2024年3月現在)。幼少期は体が小さく虚弱体質でクラスでも一番体が小さかった
【小学校時代(~12歳)】1986年4月~1993年3月
三重県伊勢市立小学校
小学校4年生の時にリトルリーグで野球を始める。陸上競技もしており、最高成績は、短距離では伊勢市内で2位、三重県内5位、長距離で市内10位。
【中学校時代(12~15歳)】1993年4月~1996年3月
三重県伊勢市立厚生中学校
野球部で伊勢市内の優秀選手に選ばれる。学業成績はほぼオール5。生徒会役員を務める。
【高校時代(15~18歳)】1996年4月~1999年3月
三重県立伊勢高等学校
野球部で1年生の時からレギュラーで、3年夏には4番センターとして三重県大会ベスト4進出。成績は学年の真ん中くらい。友達が多く、この頃から自宅で大量の友人を招いたホームパーティーを繰り返していた。
1年冬に難病指定されているIgA腎症を発症。10年間、治療を余儀なくされる。
両親から継続的なモラハラ、パワハラ、セクハラを受け続け、家庭内の関係は常時悪かった。1カ月以上、自宅に帰らないこともあった。
【大学時代(18~22歳)】1999年4月~2003年3月
名古屋工業大学工学部電気情報工学科
大学受験はほぼせずに成り行きで地元に近い国立大学に進学。特に目的意識もなかったため、大学4年間はほぼ勉強をせず、アルバイトとバックパッカーばかりしていた。当時はまだインターネットで旅先の情報を検索する手段がなく、地球の歩き方や現地の情報ノートを頼りに20か国程度を旅し、生涯を通じた趣味となる。
【フリーター時代(22~24歳)】2003年4月~2005年3月
まともに就職活動をせずに、卒業間際の1月頃から突貫で就活をして、住宅リフォーム等の株式会社オンテックスに入社。飛び込み営業をしていたが、2か月で退社。フリーターとしてレンタルビデオGEOでアルバイト生活を始める。
2004年1月27日、23歳で父親を病気で亡くし、人生を見つめ直して弁護士を目指す。
【大学院時代(24~27歳)】2005年4月~2008年3月
関西大学法科大学院未修者コース
大学院の3年間は、生まれて初めて自主的にした勉強が楽しすぎて、一度も大変だと感じることもなく、勉強に没頭し続けた。
2006年秋に持病のIgA腎症の手術をした。術後、半年程度は2日1回のペースで強い抗生物質を服用したため、体が酷くだるくて動けなかった。そのため大学から徒歩1分で家賃2万円の家に住み、授業のみ参加し、それ以外の時間帯は自宅で寝続けていた。その後、完治。
【司法試験合格・司法修習生時代(27歳~29歳)】2008年4月~2009年12月
司法試験当日は、あまりにも楽しくて、胸の鼓動が抑えきれず、左手で心臓を揉みながら右手だけで問題を解いた。司法試験は4日間の日程だが、最初の3日分で合格を確信し、最終日は試験会場にさえ到着できれば合格だと思っていたため、会場に到着したら感極まって泣いた。
2008年9月に合格発表があり、出願者7842人中56位で合格。11月から新第62期として司法研修所に入所する。修習地は東京。
2009年12月に司法修習を修了し、東京弁護士会に登録(登録番号40925)。
【弁護士時代(29歳~)】2009年12 月~現在
2009年12月 弁護士法人北浜法律事務所東京事務所に入所
2012年2月 株式会社東日本大震災事業者再生支援機構出向
2014年2月 弁護士法人北浜法律事務所東京事務所に復帰
2014年5月 福永法律事務所を設立して独立
2021年2月 事務所名をひとり親支援法律事務所と改称
2022年9月 事務所名を福永法律事務所に戻す
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